30年前のワインが問いかける。「おいしい」って、なんだ?
お正月で実家に帰ってきています。
むかし親がワインに凝っていた時期があって、そのときに買ったワインが何本か放置されていたので、今年はそれをあけることに。ちなみに凝っていた本人はいないので、どんなワインなのか誰も分かりません。
本来ならワインセラーで保管しないといけないものだと思うんですが
なにせずっと「放置」だったので、ラベルはボロボロ、色もロゼに見えるくらい変色しているものも。。でも、80年代〜新しいものでも10年以上のビンテージで、もしかしたらすっごい美味しいかも?!
1990年のシャンパン、1996年の白、1983年の赤の3本を開けてみました。
この83年の赤、シャトー・オー・ブリオンと書いてあって、なんか聞いたことあるなぁ〜と。調べたら、どうやら1本8万円以上の値がつくもののよう。えー!と家族でキャッキャしながら、ボロボロになったコルクと格闘し、33年の時を経た液体をグラスに注ぎます。思いのほかさらっとしていて、色は茶色がかったガーネット。
私が生まれる前につくられたそのありがたい液体を口に含むと、
・・・。
・・・・・。
うーん、、、
おいしい、、、、のか?
これまで飲んだことのあるワインの味と違うことは分かるんです。
最後にタンニンの味が残ることも、アルコール度数が保たれていることも、舌の奥のほうを刺激する酸味を感じることも。
けど、それらの情報が「おいしい」を意味するのかどうかが、わからなくなってしまって。
おいしいって、なんだっけ?
他の家族は「まずーい」と一言、一杯だけですぐ他の飲み物に変えて、流しに残りを流さんばかりの扱いだったけど。
私は「おいしい」に混乱を生じさせるこのワインの存在が気になってしまって、
いま真夜中にもう一度ひとりでちびちび飲んでいます(笑)
この混乱は、アートを観るときの感覚にとても似ているなぁ。
「分からない」作品に対峙したとき、人は「分かる」ために解説を読んだり、感覚で判断しようとしたり(好きか嫌いか)、人と感想を話し合ったりします。作品の前を素通りせず、なんとかして「分かりたい」と思わせる何かがあるかどうかが、作品の良さの一つの判断基準だと思うのです。分かった先に良し悪しがあるのではなく、分かる過程にあるというか。ある美術評論家も「良い作品ほど多くの問いを投げかけてくれる」と言っていました。
これをワインに置き換えるなら、これだけ私の「おいしい」を惑わすこのワインは、きっと良いものなのだなぁ。
ちなみに、もう2本のシャンパンとシャルドネは、お酢を飲んでいるかのような酸っぱさで、これは劣化の代表的な例だそう。熟成ではなく要するに酸化しちゃってるんですね。
うーむ、ワイン、おもしろい。
ちょうど来週旅行でボルドーに滞在する予定なので、ますます楽しみになってきた!